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2014年 05月 07日
ど素人がつづる、超有名な成語にまつわる物語。
なので、あまり信用しないでください。 そして、本気で怒らないでください…。 前回はここ。 春秋時代の勢力図はここ。 無事に帰国した勾践さんのその後は、というとー、 質素倹約に励み、国力の強化に努めます。 そしてー
日々これを嘗め、
※『越語』や『左氏伝』には「嘗胆」の話は出てこないのです。 真偽のほどは不明なのですが、 やってもらわないと話としては困ってしまうので、やってもらいます。 司馬遷の時代には何かしら信ぴょう性のある根拠があったんじゃないのかな? それとも、もしかしてご先祖様伝説と同じパターンなのかな? それより、素朴な疑問なんですが、 そんなもの嘗めて何ともなかったんですか…??? それに、自ら耕作もしたんだとか。国政は文種に任せちゃったらしい。
…それより、私が思い切ったことやりすぎ、ふざけすぎで…スミマセン。 作ったらなんか妙に似合ったんだもの(暴言) 一方、呉では、 献上された美女軍団にとびきりの美女1名。 彼女は西施という。 注:『史記』にも『左氏伝』にも登場しないナゾの美女。 だけど、英雄には取り巻く美女が必要なので…悩殺攻撃してもらいます。 (…ってこんなのばっかりでいいのかなぁ…?)
この絶世の美女に呉王夫差はメロメロ。
※余談ですが、左氏伝には、呉王夫差が贅沢三昧で、民を顧みないので、あれじゃもう長続きしないでしょうといったような内容で分析される記述が出てくる。 美女で骨抜きかと思いきや、覇者への野望も忘れてはいない。
伍子胥に、越をほったらかしはいけません、
そんな呉に対して、越はすかさず、
木材プレゼント作戦で、呉に浪費をさせたりとか、(『呉越春秋』)
あの手この手で呉を弱体化させていく。(越って怖~い。) 伍子胥は、事あるごとに
家族を斉へと送ったのが呉王の怒りに触れ、伍子胥は死を賜る。 (伯ピーが夫差に「伍子胥は裏切るつもりですよー」とか讒言したらしい。) 死に際し、伍子胥は、 「わが目をえぐり門に掲げよ、呉が越に滅ぼされるのを見られるようにな。」 と言い残したのだそうだ。(紀元前484年あたりのことらしい) そして、紀元前482年、
これを好機と捉え、越は呉に攻め込む。
まだ呉を亡ぼすまでの力のなかった越は、 会盟を終え戻ってきた呉王と講和条件を交して引き上げる。 紀元前478年、 再び越は呉を攻め、両軍は笠沢で河を挟み対峙する。 (笠沢は、現在の太湖の東、呉江というところになるらしい。) ここで越は奇襲を繰り返し、ついに呉を打ち破る。 (なんか越って奇襲ばっかりやってるような気がする…。) この戦いを境に、呉越の形勢は逆転する。 紀元前476年、越は楚に侵入して呉を油断させたという記述が左氏伝に出てくる。 とても周到に計画・準備されていたんだろう。 そしてついに越は姑蘇を包囲し、紀元前473年に呉を亡ぼす。
勾践は、この時になって夫差を不憫に思ったのか、これを許そうとします。 が、范蠡がこれに反対。 天がくれるものは受けるべきなんだそうだ。 そこで、勾践は甬東へ住まわせようとしますが、 夫差はこれをことわり、 「伍子胥に会わせる顔がない。」と顔を布で多い自害したと伝えられる。 (顔を隠して死ぬ話は他の話にも出てくるから、面目がないという比喩?) 勾践は夫差を手厚く葬ったそうだ。 この後、勾践さんは北上して、徐州というところまで行き、 (現在の山東省滕州市のあたりになるらしい。) 晋や斉といった諸侯と会盟、周王室に貢物を献上。 周王室は越王を覇者とした。 呉を亡ぼしたのち、周辺国に呉に占領された土地を返還したんだとか。 そんなことが功を奏して各諸侯からの支持と推薦を受けて覇者となった、 ということらしいのです。
この話、『史記』と『呉越春秋』に見ることができるんですが、 『左氏伝』には見当たらない。 ちょっと不思議に思うんですけれど…記述が途切れた後のことなんだろうか? それもヘンですよねぇ…。何年かは記録が続いているし。 ということで、スッキリしてなくて申し訳ありませんが、 呉越の因縁の争いの話はここまで。 こののち、范蠡はさっさと見切りをつけて官を辞し、斉に行った。 新しい土地で財産を築いたという話が伝わる。 一方、文種はというと、范蠡に官を辞すことを勧められたが、 逃げ遅れて、讒言を受けた勾践から死を賜った。 越はその後どうなったかというのは、また改めてのお話ということで。 ど素人が綴る、臥薪嘗胆の成語にまつわる話は以上です。 お付き合いくださった方、お疲れ様でした。
by zimulan
| 2014-05-07 20:58
| 歴史・古典(中国)
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